東塔里
突然だが、母は父と違い占いが好きだった。
特に好きな占いはタロット占い。まあ、好きだと言っても盲信するわけじゃない。ゲーム感覚で、時々ふっと占ってもらうだけだ。それに行動が左右されることなどない。
ところで、俺の…いや、私とさせてもらおう。私の名前は塔里という。
タロットカードで不吉とされる塔と、若者に見捨てられ、寂れてしまったような里という字からできている。
私が女性であったのは、明確には覚えていないが、本当に幼い頃までの話だ。
女性でなくなってからも、お前は男ではないのだからと叱られた事は多々あった。ならば、私の性別はなんなのだろう?俺とは、一体誰なのだろう?と、思春期を終えるまで必死に悩んだものだ。
そんな思春期時代を、本人が意図してかせずか、支えてくれたのは藤色の瞳のゆきうさぎだった。
彼もまた、思春期と呼ばれる年頃だったはずなのに、どうしてああも確立された思想を持っていたのかは、後に考えても謎ではなかった。
かくして太陽となった私…ここでは俺の方がいいか。俺は高校で、より深い沼のような目をした別個体のうさぎに会うこととなる。
結論から言うと、そのうさぎは死んだ。俺の手どころか、目すら届かない場所で、霧に包まれて死んだのだ。
春に浮かれた猫が、どういったつもりか俺にうさぎの骨を拾ってきた。春一番の風とは、名前と裏腹に冷たくて強いものだ、と思い知った。
風に吹かれて運ばれた雲が太陽を覆い、麗らかな春は終わりを告げる。
雨が降らないせいで、人間は雲に気づかなかった。相変わらずの晴天ね、気持ちがいいわと誰もが笑っていた。
ずいぶん強かった風は、いつの間にか湿度を増して、俺の頬をじっとりと撫でていくのだった。春の頃とは風向きは変わり、このままきっと、乾燥した心地よい季節風となるだろう。ついでにあの霧を晴らしてくれないだろうか、秋くらいになれば、恐らく丁度良い風になる。
雪解けをとっくに終えた春が取り残されて見えるようだ。俺が進んでいるから、当然なのかもしれない。
その頃から、チカチカと視界に光が映っていた。
そうしてなんと、俺は私を思い出す時がやってくる。蜂蜜色を薫らせ、艶やかな黒い絹を靡かせ、私に笑うのだ。
蜂蜜を満たしたければ、暖かな日差しを花に注ぐしかないだろう?
彼女が呼ぶ時だけ、私の名はもっと違う意味を持つのだ。
色んな人の目印になり、遠くの島まで光を届ける塔と、そよ風に吹かれては家族が平穏を笑う懐かしい里。
私の名は、東塔里という。
アルバム
「・・・。」
相手にばれないようにそっと物陰から落ち込んでいる弟を観察した。
先ほど親父様に叱られていたのはよく知っている。
「・・・うー・・・ん?」
弟とは話す機会があまり多くない。俺の教育が多忙なせい、ともいう。
でも、こうもぐすぐす泣いているところを見て、放っておけるほどの仲でもない。
静かに声を殺してぐすぐす泣く弟の姿があまりにもその幼さに相応しくなくて。
「なんか、なーんか楽しいもの・・・」
自分が行っても、うまく慰められる気がしない。
何か、何かないか。そう思って目を止めたのがひとつのクマのぬいぐるみだった。
海賊帽と埃をかぶった、大きめのぬいぐるみ。
「・・・ちょっとだけ!ちょっとだけお前の心、貸してな!」
小声でそう言って、ぬいぐるみをそっと抱いて額を合わせる。
ふわふわとぬいぐるみに魔法がかかっていくのがわかる。
『!』
ぴょこっと動き出したクマはしばらくバランスが取れず、ぼてっ!と音を立てて転んだりしていたが、やがて安定して俺の足元に座った。
「あのな!あいつ、元気づけてーんだよ。だからさ・・・。」
作戦会議。いたずらを仕掛けていたころのワクワクした感じを思い出す。
「頼んだぜ!」
にっこり笑ってぬいぐるみとハイタッチ。
あとはそっと見守るだけ。がんばれよ!
・・・そういえば、あのぬいぐるみ名前なんだっけ?なんか、昔見たアニメーション映画の海賊だった気がするけど。忘れちまったな。まあ、いっか。
「・・・っ、うえ、ぐす、・・・っ」
溢れて止まらない涙が頬を伝ってカーペットに落ち、小さなしみを作っている。
「・・・う”-・・・」
どうしようもない気持ちが蟠って、どんどん涙に代わっていく。
すると、突然柔らかい何かに背中をぽんぽん、とたたかれた。
「?」
涙を手の甲でぬぐい、腫れて真っ赤な目でそちらを見やる。
すると目に入ったのはぬいぐるみの薄汚れた手。訳が分からず視線を移せばくまのぬいぐるみがこちらを見つめていた。
あまりに驚いて言葉を発せず、ただ口をぱくぱくと動かす僕に構いもせず、ぬいぐるみは急に手と手を合わせてなにやらもじついている。
少し落ち着いて首をかしげながらその様子を見ていると、くまは急に両手をぱっと開けた。
そして視界に入る、黄色くて可憐な花。
「…!?すごい…!どこから出したの!?」
先程までの暗い感情はどこへやら、僕の心は突如咲いた花のように明るくなっていた。
くまは誇らしげに花を掲げたのち、僕にそれを差し出した。
くれるの?そう問えば頷いてさらにずい、と差し出してくる。
それが本当に嬉しくて、感動して、惨めだった気持ちがまるでネバーランドに招待された少年のように夢に満ちたものになっていた。
「ねえ!」
くまさんはどこからきたの?そう問う前にくまは部屋から出ていこうとしてしまう。
待って!そう言った時にはもう扉の向こうにくまの姿は消えていた。
その場に取り残された僕はもう1度花を見つめ、そしてその奇跡を味わっていた。
人の心を明るくするその行動は、手品というのだと後に知った。
「作戦大成功だな。」
そうくまのぬいぐるみとハイタッチをした少年の存在を、僕は大人になって手遅れになるまで、知ることは無い。
正反対な初恋
ずっと私の初恋は兄様に奪われたと思っていた。兄様は雄大で、強く、美しく、そして心から優しいお人だ。話しかけていただけると心は踊るし、触れていただけると日が沈むまで機嫌を良くした。
慈雨の神。まさにと言わんばかりに兄様はよく弱いものに気付き、お助けなさる。殺戮と破壊を繰り返す私とは正反対だ。そんなところにも強く惹かれた。
対してあの、真っ黒な太陽だ。
容赦のない日差しには慈しみどころか他者を気にしている素振りすらない。
話しかけられるとイライラするし、触れられなんかしたら吐き気がしてしまう。
殺したいと思えるほどには嫌いだ。どう殺してやろうかと頭をいっぱいにすることすらある。
次会った時こそ、何かしら攻撃を入れてやる。
あんな方法ならどうだろうか?こんな方法なら?そうやって時間を無駄にしたのも、すべてあいつのせいだ。
でもその時間を、兄様はこう言うのだ。
「まるで、好きな人を想う乙女の時間だ」
と。
指摘されてしまえば気付いてしまう。
その無駄な時間の結論は決まってこうだ。
「ああ、早く会いたい」
見て見ぬ振りをしてきたのかもしれない。
だってそうだろう
こんなものが恋だなんて誰が素直に認めよう?
ああ、すべてあの真っ黒な太陽のせいなのだ。
おめでとうとは言えない
『織姫様と彦星様は、年に一度、あの天の川で出会うのよ』
今時天の川なんて本当に見えやしない。美しい天の川どころか、織姫様と彦星様すら見えることは少ない。
もちろん田舎に行けば話は別だろう。遠くから来た友人には数人毎年見ていたと興奮気味に話す人も居た。
ロマンチックな、逢瀬の時が引き起こす奇跡が叶える星降る夜の願い事。
七つの夕暮れとは粋な言い回しで日本らしいと、国語の成績もまともに取れない俺が言ったところで返ってあほっぽい。
「夢兎は短冊なんて書くんだ?」
去年、いや一昨年だった。七夕もまともに経験してこなかったあの子は目を輝かせて俺に聞いてきた。
無邪気な顔が可愛くて、本当は七夕なんて嫌いなんだとは言えずに秘密、と返した。
そう、話したいことの主軸はこっちだった。
俺は七夕が嫌いだった。
11年前までは嫌いでもなかった。
なんなら4、5年前までは普通に好きだった。流しそうめんは美味いし、その美しさを感じないわけでもなかった。
あいつが、いつからか神童と呼ばれ出してからだ。
「まるで織姫様と彦星様が贈ってくれた奇跡の宝物ね」
なんて。ひどいと思わない?織姫様と彦星様は願いを叶えてくれるのだ。
俺みたいなのじゃなくて、優れた息子が良かったと望んでいたような言い回しじゃないか。
本気で両親がそんなこと願ってたなんて思ってない。それでも心は拗ねるもの。
神童や天才は、誕生日すら特殊で愛されるのだ。
「次こそは赤点を取りませんようにって…もっと夢のある願いにしろよー」
俺の短冊を覗き込んだあの子の不服そうな顔を思い出す。
いいじゃん別に。ほんとの願いなんてもっと夢がないぜ。
ああだけど織姫様。ほんとにあんた達が寄越した宝物だっていうならかぐや姫みたいに空へ連れて帰って行って欲しかった。
「次こそは、一人っ子に生まれますように。とかなら許されてもいいんじゃない?」
石水杏の恋文
貴方への想いはしんしんと降り積もり、夜に白く輝いて、そっと溶かされるのを待っています。朝の日差し、麗らかな春を告げる太陽。そうやって土が顔を出した時、きっと私は歩き出せます。
貴方に手を取られ、サクサクと踏みしめる荒れた土を、これから共にふわふわの花畑にしてください。貴方と隣合わせで顔の映らない濁った泉を、どうか鏡とするまで澄ませてください。
どれも、貴方とでなければ嫌なんです。
ひとりぼっちでは、できないんです。
貴方の優しい声が好き。
貴方の柔らかな笑みが好き。
しんしんとまだ降り積もる想いの泡を、どうかそのまま凍らせないで。
夜はまだ長いから焦らないでください。
「秋慈さん。」
たくさん名前を呼ばせてください。
もっと貴方を教えてください。
そして、どうか知ってください。
貴方に愛してもらいたいから。
無題
兎上由紀とは、頭のいい人間である。
勉学に励むのも勿論だが、頭の回転が早く決断力がある、戦場で有利な頭の良さの持ち主である。
「そこが、あの人を思い出させて嫌いなんです。」
いかにも非情を思わせる利己的な言動や、他人を見下す視線は、その奥底から美しく輝き、曇らないことを数少ない人が、しかし確かに知っている。
「そんなところが、面白くて好きなんだよお」
自らの思想、目標を高く掲げ、空気を震わせる凛とした声が天まで届くこと。そしてその言葉に魂を宿し、決して雨に負けないことなどいかにも彼を構築する特徴である。
「…どうして、あなたばっかりそんなにも。」
鋼というにはあまりに豊かで、まっすぐに澄んだ心が彼には備わり、数多の兵の命を救い、また殺してきた。懇願せず、縋らず、しかしひとりに酔わず。
人間の心というには、純粋に強いそれ。
「期待してるんだよお、君の解答に。その意見に。」
兎上由紀という学生兵が居た。
「「だから、お願い」」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。
僕は僕だ。貴様は貴様だろう。」
「だから僕は信じている。当然のことだ。」
「生きると良い。努力すれば見つかるだろう。」
「愚か者め。」
パレットには君がいっぱい!
いわゆる天才だと称される人種の一人に生まれ落ちた。
母はそれをいたく喜び、自慢し、自分の自慢好意が恥ずかしいものにならないようにそれを強いた。
父は母ほどでもなく、普通に喜び、普通に俺を呼んだが、いつの間にかこの才に慣れてしまったようで。何も言わなくなった。
ぐしゃぐしゃに丸められた、四方どこを見ても他人から見える自分が反射されたアルミホイルの中で生きるような感覚。
いつでも自分を確認させられているような、そんな生き方。広く見ているつもりで、狭すぎるこの世界。
不幸だとは思わなかった。親から求められ、褒められ、愛されていた。
彼に比べればよほど。ただ、正しいとも思ってはいなかった。
だから世界をパレットにした。好きな色を作ろうと、キャンバスを探して。
彼を最初に世界に招き入れたのは彼にとっては不幸だったのかも。
それでも戯曲に付き合ってくれと、俺は微笑みかけた。
彼と俺は、どうしたって相対的な人類であった。
世間は人が回している。
曇天と、雨。敗北の男性と死す女性、立ち尽くす神童。
痛みと赤と、そして体と。指輪。
降り注ぐ音。太陽の彼の絶望した顔と震えた手は、俺に手遅れを告げるには十分すぎた。
耳によく残っていた。
「どうして、こんな、残酷なことを」
そういった、太陽を。
彼も俺も、浮かれていたことに変わりはない。だから待っていたのだ。死が。
原点を忘れ、ただ放浪する魂に安らぎが訪れる世界が望ましい。
だけど仕方ない。
もうピアノは弾けないけれどレコードでも構わないかな。せっかくなら機嫌の良いワルツがいいよね?
だからどうか。
色があるように。君が、居たように。
俺は?俺はどうしよう。
「こうしよう。」
世界を見ているつもりだった。人間は気付いた時に皆等しくそう言うはずだ。
だってあまりにも哀れじゃないか!
理屈も言い訳もない、ただ巨大な地球の上で花を咲かせだけのこと。
自分の開花にも気づけない人種が居るなかで、それでもこんなこと!
もっと早くにその色を口説くべきだったのだ。彼を、きっと殺したのは。
散り散りになる思考と人格と自意識が。
もうもとになどもどらなくてよかった、枠だけがあれば、受け入れらる気がした。
毒毒しく散った彼も、華々しく散れるであろう俺も。
「変わらない、ずっと、アルミホイルのパレットの中で雨音を聞いているだけなんだよ。それこそ、夢を追って穴に落ちる兎のようにさ。」