雪を想う春のこころ
愛される、ということについては人の中でもよく考えていた方だと思う。
愛されているという状態は意外と定義が曖昧だ。それは、愛の形が人によって異なり、しかしそれでも愛なのだと認められていることに起因しているに違いない。
例を挙げるならまず第一に俺の母だ。
彼女は俺を愛しているとよく言った。その言葉と彼女の行動を結びつけると、彼女の愛とは才能がある人間にのみ向けられるもので且つその才能を伸ばすことに尽力することになる。
つまりだ、天才ならば俺じゃなくてもいい。そこに親子の絆であるとか、唯一無二の息子であるという事実は反映されない。
確かにあれも愛だと思う。けれど、俺はなんとなくあの人から注がれる愛が好きじゃなかった。学校の先生なんかにも、同じようにこの才能は愛されたけれど、例えばあの子のように明るいから、一緒にいると楽しいからなんて 俺だからこそと個人として愛されることはなかった。
ただそのぶん、出来ることを褒められたり期待されることには慣れていた。
自分の持っている才能を愛されることならば、ある程度当然だと思っていた節があったのだと思う。
誰かが俺に対していい顔をするということは、イコール俺の才能を愛しているのだという方程式が出来上がるくらいには。
あまりにも俺個人を愛してくれる人に出会わなかったから、すっかり諦めていたのかもしれない。
だから驚いた。
君が俺を 俺の性格だとか振る舞いを愛してくれたことが。
言われてから気づいたけれどどれも幼い頃から欲しかった言葉だった。
優しい所が好きだよ、いつも頑張ってるな、とか。胸が締め付けられるとはよく表現したものだ。愛されるってこういうことなのかもしれないと思った。
君には話したいことが本当はいっぱいある。
知ってほしいことも、言いたいわがままも君について知りたいことも沢山、それはたくさんだ。
でも今1番知ってほしいことを選ぶなら、俺がどれくらい君に感謝してるかになるのかも。
優しくしてくれたこと、笑いかけてくれること、好きにならせてくれたこと。……愛してくれたこと。
君が初めて恋をしてくれたこと、ほんとに嬉しかったんだ。何もかも不慣れでぎこちなくて、でも一生懸命俺のこと愛そうとしてくれる、そんな姿が 意地悪かもしれないけれど嬉しくて仕方がない。
本当は俺も初恋なんだよって教えたら君も喜ぶかな。君がたくさんのはじめてを俺にくれたように、君は気付いてないかもしれないけど俺もたくさんのはじめてを捧げてるんだよ。
だからね。
いっぱい愛してね。
君が俺と幸せでいられる間だけでいいから、今だけは、
君が好きだと伝えることを、君の幸せにさせてね。