ステルス性涙
清潔な病室の中で、蝉の声を窓越しに聞きながら、青い空を彼は眺めていた。
ベッドの上で読んだ本は、片脇の机にこれでもかと積み上げられ、彼の暇だった時間を顕著に表している。
がらり、とドアが開いた。
「美春。」
呼ばれた彼は微笑をたたえて扉の前に立つ同輩を振り返った。
差し入れにと、お金も無いのに買ってきたらしいアイスの袋を、爽やかな笑顔で掲げる同輩を眩しく思ったのは、窓から入ってくる光の反射は関係ないのだろう。
軽い言葉を交わして、また雑談が始まる。
同輩の新しい仲間や、弟の話を聞くのが彼は好きだった。その代わり、戦場の話を少し嫌った。
「今は少し敏感になってるだけだよ。退院する頃にはまた平然とした顔で戦に出るさ。」
自分でそう言った彼は、本当にいつも通りだった。
「…そんな顔しないでよ。ほんとに俺は平気だよ?」
同輩の心配したような顔を見て彼は笑った。しかし、珍しくその笑顔には影が残りっぱなしになっている。
「本当にか?」
そう問い詰められると、いつものように大丈夫だ、と偽ることも、茶化すこともなく、ゆっくり彼は俯いた。
「……平気なんだ。本当に。…平気なんだよ。俺は、友人を、目の前で亡くしたはずなのにね。」
同輩はこの時、少なからず驚いたのだと後に言った。もちろん、彼に言ったわけではなかったが。
「自分も怪我をして忙しかったのだとか、そんな言い訳は通用しないよね。暇な時間もたくさん……あった。
でも俺、泣けなかったよ。」
彼が涙を零すことは事実なかった。悲しんでいないというわけでないことは、表情を見ていれば明白である。
弱音どころか、本心らしい本心や悔やみを、彼の口から聞くなんて初めてだった同輩は、つい言葉に詰まってしまった。
「…でも、」
ようやく何かを言おうとした時、彼はいいんだ、と遮ってしまった。
彼はいつもそうなのだと、同輩は奥歯をかみしめる。申し訳なさそうな顔をしていても、彼は自分の不幸は自分だけでさらりと解決する力を持っていると、知っているから滅多に頼らないのだ。
「正直、泣けなかったことには自分でも驚いているんだけどね。」
その言葉を最後に、彼は亡くなった友人の話をやめた。同輩もそれに一切触れなくなった。
エアコンの効いた室内は無機質な涼しさに包まれ、ああ、あの生臭い、なまぬるい、ひどく劣悪な環境にある戦場に帰りたいと2人に思わせるには十分であった。
願わくば、また共にと、無くなった彼の左腕に視線は集まっていた。