想像の小部屋

なんか色々まとめたり書いたり。

八島美春という人間

振り上げられた見覚えのある大きな鎌。

白い制服を真っ赤に染めて地面に倒れている旧友。

真っ黒な髪に、真っ黒な制服の、まるで、それは悪魔のような

 

「隊長!?!」

静止の声が遠くに聞こえた気がした。それよりも先に地面を蹴ってしまった俺の判断は誰がどう考えても、もちろん俺が考えても馬鹿な判断だった。

「待てよ、殺すな!!!」

長刀は届かない。唯一届いたのは俺の左手と…

「……はっ、馬鹿じゃん。天才サマよぉ。」

彼の 嘲笑だった。

 

「…悪いね。今、空いてる手はあるかな?」

救護班の女子生徒が数人悲鳴をあげた。他の数人は男女問わず俺の顔を見てざわざわ、ひそひそと会話を始める。

正直イライラしていた。ここは戦場だ、誰がいつどんな怪我をしてこようがおかしいわけがない。何を動揺しているのだ。生ぬるい覚悟でここに居るとでもいうのだろうか。ましてやここは本部なんかではない。戦場に配置された、臨時の拠点だ。

「…ああ、治療が必要なのは俺だけだよ。…こっちは死体だ。途中までは息があったんだけどね。」

にこりと笑って見せたが悲鳴をあげた女子生徒たちはさらに怯えてしまった。

こっちは痛くて泣き叫びたいのを我慢しているというのに、なんという待遇だ。

運んできた彼を地面におろして寝かせてやっている間も、人が雑然と作業しているはずのこの場所にふさわしくないほど、俺の周囲の空間は空いていた。

「さあ、悪いけど最後に大仕事をしてもらおう。俺の利き腕なんだ、よろしくね。」

そう言って治療準備をしている生徒に笑って近寄るとひっ、と悲鳴をあげて一歩下がられてしまった。どうやらやはり、俺では彼のようにいつでも笑ったところで安心させられないようだ。

利き腕…左腕の肉が削げてしまい骨すら見えそうな状態であった俺をようやく治療するために人が近寄ってきてくれた頃には、拠点内の救護班も治療を受けていた表部隊の人間も誰もが俺の名を口にしていた。

 

あの八島美春が あれが あの天才八島美春が大怪我をして帰ってきた。

 

…さすがに、彼らに笑い返す余裕はなかった。

あの鎌、黒い彼が毒薬を塗りこんでいたらしい。意識が飛びそうなのをどうにか捕まえていた。

救護班の人たちの声が遠くに聞こえる。どうやら俺を担当するのは1年生らしい。

何やら先輩の指示を聞いて動揺して怒られている。

…なんでもいいから早くしてほしい。いくら天才だなんて勝手に言われていても、俺は痛覚を持ち合わせた人間なのだ。

 

「……ッ、あ、!?」

ひどい痛みで意識を取り戻した。鎌が腕に入った時よりも圧倒的に鈍い痛み。

見てみれば女の子が刀を俺の左腕に振り下ろしていた。

「ごめ、ごめんなさ、わた、私…ッで、でも、毒が、もう、腕…ッ先輩が、」

泣きながら震えながら、彼女は刀を俺の腕にこすりつける。俺の血が彼女に降りかかる。男子生徒や女子生徒が俺の体をあちこち押さえつけて暴れださないようにしていた。

「ごめんなさ、ごめんなさいッ、私、私悪くないんだから…ッ恨まないで!!」

武器を使い慣れてないことがよくわかる、この女馬鹿なんじゃないか。刀はのこぎりとは違う、いったい何を学校で学んでいるんだ。

痛い、痛い痛い、痛い

「…ッ、ぁ、…だ、いじょうぶ…ね、?」

そう彼女に笑いかけた瞬間に俺の体を押さえつけていた手がいくつも離れた。

いい加減にしてほしい。いくら俺でも抑制がなければ痛みに耐えきれず暴れてしまうかもしれないじゃないか。

必死に悲鳴をあげないように耐える俺の耳に届いた彼女の言葉に至っては

「ひ、……きもちわるい…ッ!」

…まるで、化け物扱いを受けている気分だった。

人の腕が切り落とされようとしているというのに、この拠点は異様に静かだった。

 

ああ、痛い、 痛い痛い痛い。骨に、神経に、筋肉に、刃が。

どれだけめちゃくちゃにすれば気が済む、いつになれば切り落とせるんだ、

痛い痛い痛いいい痛い 痛い 血が 死んでしまう このままでは

 

いけない 彼女を怖がらせては。

 

 

 

目が覚めた時には清潔なベッドから白い天井を見上げていた。傍らの赤い輸血パックが妙に目立っていた。

見舞いの人間はいない。

「………はっ」

思わず笑いが漏れた。

こうなっては仕方ない。意外と簡単に諦めはつくものだ。当たり前だ。

 

…俺は、あの子と違って生きている。

 

女の子はいいぞ

真「悠」

実「オチにされるのに飽きられてきたからって出オチにもってきやがったか」

夢兎「頼むから女子でお願い 1回くらいまともに選ぼ?」

真「…?」

風兎「本気でわからなさそうな顔やめて」

小太郎「おとなしい子の方が好みそうだけどお 恋人は悠くんでしょお?年上タイプが好きなのかなあ」

美春「烈とかは?ちょっときつい?」

菊哉「女になったら好みくらい変わるだろ 御法とか言うやつどうなんだよ大人しそうだし胸でかいし」

夢兎「ちょっと御法ちゃんのことやらしい目で見るのやめてくれる!?!?」

美春「夢兎も好きでしょ巨乳」

夢兎「好きだけど!!そうじゃないいや何言わせんの!!!」

由紀「で?結局貴様は誰を選ぶんだ」

真「ええ………ううん………東雲さん、かな」

実「あっえっまじで!? 織部先輩だと思ってたわ」

真「織部先輩…も…お姉ちゃんみたいですき」

菊哉「恋愛対象外ってことか?」

真「…?そんなこと言ってない…」

菊哉「は?💢」

小太郎「はいはい怒らないでねえ 狙ってるんじゃないんだからあ」

菊哉「うるせえオカマ💢💢」

小太郎「なーーんだ死にたかったなら早く言ってくれればよかったのにい」

実「あーーー小太郎は??好みの!」

小太郎「ええ? うーんそうだねえ 伊波ちゃんとか好みだけどお 薫子ちゃんも悪くないねえ」

由紀「貴様女性に少しでも興味があったのか…」

小太郎「まあねえ ちょっと遺憾だけど見逃してあげるぅ」

風兎「伊波選ぶとか趣味悪いよきみ……()顔は可愛いけどさ」

美春「じゃあ君は?」

風兎「えっ…ううん、要か御法さんかなあ…」

夢兎「あっ俺も御法ちゃん!!かわいい!!」

実「兄弟ってそういうとこも似るのな」

風兎「ええ 違うと思うけど」

夢兎「御法ちゃんに甘やかされたい はい!君は?」

由紀「貴様気持ち悪いぞ…………僕は唯亜だ。」

小太郎「坊ちゃんはやっぱりお嬢様選ぶんだねえ」

由紀「そういう理由ではない💢」

実「唯亜さん美人だからわかるけどなw まあ俺は茉秋さんかまほちゃんかなー 女の子っぽいし」

美春「俺克牙ちゃんか千春ちゃんかな 甘やかしたいね」

風兎「そうなの!?君の好みわかんない…」

夢兎「あれ、結局君愛弓ちゃん?なの?」

菊哉「は?ちが」

実「うんうん最愛の彼女だからな 織部先輩だってよ」

菊哉「💢💢」

遺書

彼女はいつも輝いている。

キラキラと笑い、花のように頬を染め、バイオリンの音色のような声で私の名を呼ぶ。

マイプリンセスと呼ぶのは軽率だろうか、しかし私のものかは別としても、彼女が姫であることには変わりない。

私は彼女に恋をしている。

 

 

学園の王子の名を欲しいがままにする、マイペースが過ぎる彼――正確にいえば彼とも彼女とも形容できないが――の周囲にはよく女性が集まっている。男性が集まらない訳では無いが、女性の方が付きまとっている時間は長いだろう。

王子は女性が好きであった。

皆に手を差し伸べ、皆を平等に侍らせ、その姿はまるで一夫多妻の王族のようだ。マントのように羽織ったローブがまた助長させる。

 にこにこと笑う彼はそれを鼻にもかけず、程よく抜けているその性格で男女双方から人気を集めていた。

一方で、王子とは違う様子だがクラスの皆から好かれる少女が居た。

平凡な女の子、と少女漫画の冒頭で説明が付きそうな素朴な可愛らしさを持ち、明るい笑顔で友人としての人気を有する少女だった。

ほかの女の子と同じように甘いものを好み、ほかの女の子と同じように可愛いものに憧れていた。

そんな彼女の圧倒的な周囲との違いは、王子にいたく気に入られている事だった。

きっかけなどない。ただ初めてあったその時から、当然であるかのように気に入られたのだ。

シンデレラのように舞踏会に行ったわけでも、白雪姫のように硝子の棺で眠っていたわけでもなかったが、少女は王子にとってのお姫様だったのだ。

「やあ、マイプリンセス」

そう王子が微笑みかけるのは決まって姫がひとりでいる時だった。

所有格をつけてまで呼びかけるのが少女に対してだけだと少女は知っているのだろうか。

王子がそれを故意的にやっているのかも、神のみぞ知ると言ったところなのだろう。

2人の間に確かな好意があるのにも関わらず、彼らの距離はいつまでも一定に保たれていた。

 

 

臆病な私を許しておくれ、リーリエ。

そして君を言い訳に使ってしまうこと、情けないことだとわかっているつもりだよ。 

仕方ないとは言わないさ、私も。

今の私を嘆くことなどしないさ。不満に思うこともない。

あの時以降も私はたくさんの幸せを享受している。私はこの世界を愛している。

それでも、君を愛することは。

君に、愛されることは。

 

……わかるかい?リーリエ。

私は君の彼氏になることも、彼女になることも、配偶者になることもできないのだよ。

ましてや、君の王子になんて、私にはなれない。

私の愛は、そこに責任を感じるほど、深く大きいものになってしまっている。

だからね、もっと時間が欲しいのさ。

私が、君を不幸にするその覚悟ができるまで。

私が、冠を捨てて闇に消える覚悟ができるまで。

 

 

それから、私を見損なっておくれ、リーリエ。

 

真の愛のその熱量

 

その朝は普段よりも1段と冷え込んでいた、様に思う。懸命に看病していたつもりが、僕の手は確実に彼の命を蝕んでしまっていっていた。

もう、僕の手ではどうしようもない、彼の命の火はもう吹けば消えてしまいそうだった。

その時に、彼が遠くの友人と話せるのだと言っていた、電話という道具を思い出せたのは奇跡に近い。

僕の両手はすぐに、受話器と電話帳に伸ばされていた。

 

***

 

彼らの存在に気付いたのは部屋に彼らが入ってきてからだった。悲しみのあまり、足音に耳を澄ますことも忘れていたらしい。

ようやく来てくれた人間の姿に安堵した僕は、彼らに感謝の意を伝えようとしたのだけれど、ぐるぐると胸中で渦巻く冷たい感情が、うまく抑えられなかった。

「…どうして、もっとはやく来てくれなかったの」

本当は、あんなこと言うべきではなかった。……いや、言いたくなどなかった。

僕は悠みたいに、優しく居たかったのにね。

「君たちが、もっと早く来てくれれば、悠は助かったかもしれないのに。」

零れていた涙は凍ってしまっているのじゃないかと錯覚するほど、冷たく頬を濡らしていた。

僕が言葉で暴力を振るった2人は、困ったような顔をして、悠と僕を見つめていた。

 

異変が起きたのはそのすぐあとだった。

水銀のような化け物…結局は、僕の兄弟だったわけだけど、奴らが悠と大切にしてきたこの家を覆い尽くしてしまった。

挙句の果てには、変身術なんかも駆使して、助けに来てくれた2人を傷つけてしまった。

形容しがたい感情が僕の中に湧き上がるようだった、…でも、その形容の仕方を教えてくれる悠はもう居ない。

勝手に呼びつけたのは僕だったけれど、2人には傷ついてほしくないと感じた僕は、どうにか2人に帰ってもらおうとした。

…それに、我が儘を言うようだったが、悠のそばで、悠とふたりきりで居たかったのだ。彼を殺した僕にそんな資格はないのかもしれないけれど、きっと優しい彼なら、こんな僕でもそばで最期を迎えることを許してくれるだろうと考えていた。

悠の居ない、寒い世界で生きていくことなど、頭にはまるでなかった。

 

しかし、2人を帰すのには障害が多すぎた。今から思えば、2人にあれほど無茶をさせず、僕だけで帰路を探しに行くべきだったかもしれない。…それを申し出たところで、優しいあの2人が了承したかは危うかったかな。

実に色んなことがあったと思う。

悠を一緒に連れていってくれようとした。

僕がどうしても寒くて近寄れない所を、我慢して代わりに調べてくれた。

化け物の弱点を見つけて、退治してくれた。

暖かいカイロというものや、マフラーを貸してくれた。

僕が難しくて読めなかった本を読み聞かせてくれた。

僕にたくさん優しくしてくれた。

…どれも、とても嬉しかった。不謹慎かもしれないけど、少しだけ悠の居ない寂しさを紛れさせてもらっていたように思える。

1度だけ、僕に触れようと迫ってきたことがあったけれど、あれには少し驚いたかな。

僕がこんな体でなければ、一緒に遊べたかもしれない。

今からごめんねと言っても遅いんだろうな。

2人が僕を無視して地下に行ってしまったのも、僕の……いいや、あのバケモノの親玉を倒せば、僕の心が晴れることを予知していたのかもしれない。

本当に、優しくて、勇敢な人達だった。

最期に、そんな人達に巡り会えたのは幸せなことだったんだろう。

 

ああ、瞼が重い。

 

一緒に埋葬しようねなんて、約束してくれたのにごめんなさい。

どうか、暖かいところに悠のお墓を作ってください。

僕は、僕の望むように、眠らせてもらうね。

「…ゆう、」

ベッドに寄りかかって、愛しい君の名前を呼ぶ。

伝えたいことはたくさんあったのに、僕はまだ、それを紡ぐだけの言葉を知らないんだ。

だからひとつだけ。

「……ありがとう。」

悠だけにじゃない。美しい白銀に、優しい太陽に。

 

名前も知らない、たった2人の救世主に。

恋の罠

好きな色はなあに?

緑だよ、お母さん。

あら、そうなの!お母さんもねえ、緑色大好きよ美春、おそろいね。

うん、嬉しいね、お母さん。

 

小学校の頃、そう言った会話をしたら、同級生の女の子に本当にみどり色が好きなの?嘘っぽいわ、と言われたことがあった。

彼女がどういうつもりでそれを言ったのかは知らないが、俺は普通に緑色は好きだった。

新緑の色、生命の色。一息つく緑茶の色。美しいオーロラの色。

まあ確かに、特別好きなんてものじゃなかったかな。

当時からそう言った性質で、ある程度の好みはあれど、突き抜けた好きも嫌いも持たない人間だった。

 

「隊長ー!」

ふと顔をあげると、遠くで美しい緑色が、日光を受けて柔らかく輝きながら細められていた。

白いシャツに身を包んで、暖かい色の茶髪を揺らし、男性らしい手を俺に向かって振っている、その人の瞳。

割とお気に入りのこの文庫本の、丁寧にデザイナーに選び抜かれた緑色なんかよりよほど綺麗だった。宝石に例えるのもいやらしいのではないかと疑うくらい、彼の瞳はまぶしい。

近くまで芝生を踏みしめて歩いてくる大きな足も、木漏れ日で点々と輝く健康的な肌も、

一つ一つ、毎秒俺を恋に落とす。

こんなに夢中になって、俺は俺を許せるだろうか。君は、気づかないでいてくれるだろうか。

だけど、気付いて欲しくないわけじゃないんだ。月夜よし、夜よしと人に告げやらばってね。

ああ、また頭がいっぱいになってしまう。

 

さらさらと風が吹いた。

 

君の少し長い髪から君の香りが秋の終わりと共にやってくる。

「冷え込んできたな。」

そうへらりと笑った君の表情にまた、恋に落とされた。

「死ぬなよ、苦しむまでは。」

よる、おやすみするときに おふとんからうでやあしがとびでていると おばけにつれていかれちゃうんだよ

 

昔読んだ絵本にそう言ったことが書かれていたのを覚えている。

当時おばけを怖がった僕は布団の中で丸まるだけでは恐怖心は収まらず、両親に泣きついてふたりの間に入れてもらって寝たものだ。

親子で川の字なんて、初めてね。お父さん。

ああ、親子で、川の字。初めてだな。

確認し合うようにそう話していた両親の言葉は、僕に対する愛情に満ちていていて、とても優しいものだった、気がしている。

あの時、彼はもう自分の部屋を持っていたんだっけ。

まあ、そんな記憶ももう思い出に変わってから数年経つ。

すっかりおばけなんて信じなくなって、夜寝る時に丸まる理由も変わってしまった。

それでも僕はあの頃と違って、時々だけど、わざと片手を布団の外に出して寝るようになった。

だってもしも連れ去ってくれるなら、

その行き先にはきっと家族がいるのでしょう?

なんて。

 

「……。」

「ほっそい手首。」

 

朝目覚めても、寝る前と同じ天井が視界に入る。

当たり前のことなのだけど、それが悲しくて、だけど安心できて、僕は弱虫なのだと実感させられた。

外に出しておいた手は寝相で布団の中へ戻ったしまっていたらしく、冷えることなく太い血管で僕の手先まで血を通わせていた。

兎上の義兄弟

この家には元々養子で貰われてきた兄が居るという話だった。しかも、その兄は僕さえ見つからなければ後継になる予定だったらしい。

そこから僕が導き出した答えはひとつ、おそらく僕は兄とうまくやれないだろうということだった。

 

国内での戦は収まることを知らず、たった一つ小さな島国の未来をああするこうするといった、せせこましい戦いではやはり、優れた武器を持つことが勝利のために必要だ。

そんな世の中、この兎上の家業である軍馬の育成の商売は実に成功している。

だから子を成せない女性に心奪われてしまった馬鹿な主人は、仕方なく養子をあれこれ探さなければならなかった。

最初に引き取った子は、優秀ではあるが、何やら言うことを聞かないらしく、跡取りにはあまりにも向いていないらしく、僕を買い取ったのだと義父が話した。

子供を買うような大人なのだから、そういう子は簡単に売ってしまうものではないのかと思ったのだが、一人目の子はまだ養っているようだった。僕がダメだった時の保険なのかもしれない。

 

その兄とは家についてからもしばらく会うことはなかった。というのも、兄は多忙だったからである。

兎上に課せられた膨大な量の教育に、何を思ったのか追加で医学を学ばせてほしいと申し出たらしい。彼はそこいらのブラック企業社員さながらの休み時間しか取っていないらしかった。

時折すれ違うこともあったが、前述したように、嫌われていると思い込んでいた僕は俯いてあの綺麗な顔立ちを避けていたので、少なくとも1ヵ月はまともに言葉を交わさなかっただろう。

そんな僕はここに買われてくる前、少し貧乏な孤児院にいた。優しかった先生や仲の良かった友達を思い出して寂しくなることも多く、義父からの期待や厳しい勉強、マナーチェックなどに、日々疲れていっていたように思う。

夜中に布団の中で泣くことも多かった。

その夕暮れも、ドアが隙間を開けていることに気づかずに弱々しく泣いていた。

「…どうかしたのか。」

不意に届いた声にひどく驚かされ、ついに僕は兄と目を合わせたのだった。

 

僕はずっと兄という会ってもいない人間を、勝手に誤解していた。

僕を抱きしめた腕は力強く、そっと撫でてくれる手はとても優しかった。

泣きやめない僕はそれが悔しくて、僕のことなんて恨んでいるんだとか、自分だって寂しいくせに、とか初対面の彼にさんざんまくしたてた。

「そんなことはない。」

「僕がお前を恨む理由なんて無いだろう。」

「僕は、お前の兄なのだから。」

そう言ってくれた彼は、本当に自分の兄なのだというような気がして、妙に安心させられてしまった。

「ずいぶん、甘えるのが下手な弟だな。」

数年後にはあなたには言われたくないと返せただろうこの言葉も、当時の僕には救いだった。

 

養父母は僕ら兄弟を実の子供のように愛してくれていたらしかった。父は不器用なため、兄に素直な愛情表現をするのは苦手なようだったが、僕は二人目だからか多少はマシな態度をとってくれていた。

だから僕も、兄と同じで彼らの期待に応えようと思ったのだ。

兄との違いは、僕に確固たる目標がなかった事だ。

結局、仲良く話すような時間は普通の兄弟より遥かに少なかったが僕はあの人を尊敬している。

今頃、またあの誤解されやすい態度で孤高の紳士にでもなっているのだろう。彼らしいといえば彼らしい。

たまに送ってくれる手紙も相変わらず偉そうだ。最近は少し友達ができたみたいで、はしゃいでるようにも見えるけど。

 

ああ、時間だ。僕は勉強しなくちゃいけない。

だって、あの兄から僕は

この家を任されたのだから。

 

見ていてください、尊敬する兄上。手紙の返事はまた今度。